リーゼントにサングラス、そして学ランという唯一無二のスタイルで音楽シーンを席巻するロックバンド「氣志團」。
そのフロントマンとして絶大なカリスマ性を放つ綾小路翔さんですが、ミステリアスなイメージが強い分、その素顔は多くの謎に包まれています。
ミュージシャン、プロデューサー、そして時には俳優として、多彩な顔を持つ彼の本当の姿とはどのようなものなのでしょうか。
この記事では、綾小路翔さんの本名に関する情報から、輝かしい氣志團の活動の軌跡についてご紹介します。
【この記事の内容】
・学生時代から現在に至るまでの詳しいプロフィール
・氣志團やDJ OZMA名義での輝かしい音楽活動
・知られざる家族とのエピソードや意外な素顔
綾小路翔の本名は?公開情報を元に解説

本名は同級生の証言から判明
CMで話題になったすっぴんの素顔
元ヤンキーだった意外な学生時代
家族との心温まるエピソード
綾小路翔の公式プロフィール
まずは、綾小路翔さんの基本的なプロフィール情報から見ていきましょう。
彼のキャラクターは多くの情報に裏打ちされており、その一つ一つが「綾小路 翔」という存在を形作っています。
多くのメディアで公表されている情報を以下の表にまとめました。
| 名前 | 綾小路 翔(あやのこうじ しょう) |
|---|---|
| 生年月日 | 1976年4月26日 |
| 出身地 | 千葉県君津市 |
| 身長 | 184cm |
| 血液型 | B型 |
| 愛称 | 翔やん、團長 |
| キャッチコピー | 房総の狂犬、永遠の16歳(シックスティーン) |
キャッチコピーである「永遠の16歳」は、単なるキャラクター設定ではありません。
これは彼の音楽活動やファンに対する真摯な姿勢の表れとも言えます。
年齢を重ねてもなお、ステージ(彼らはGIGと呼ぶ)で見せるパワフルなパフォーマンスや、ファン(KISSESと呼ばれる)との熱い一体感は、まさに青春時代そのものです。
この変わらない少年のようなハートが、世代を超えて多くのファンを惹きつける最大の魅力となっています。
本名は「馬場 直(ばば なお)」ー同級生の証言から判明!
結論から言うと、綾小路翔さんの本名は馬場 直(ばば なお)さんであるという説が最も有力です。
この情報が公に知られるようになったのは、お笑いタレントのまちゃまちゃさんによるカミングアウトがきっかけでした。
芸人・まちゃまちゃと同級生
彼女はテレビ番組などで、自身が綾小路翔さんと千葉県君津市立周西中学校の同級生であり、さらに生まれた病院まで同じだったと明かしています。
この証言は非常に信憑性が高く、ファンの間では本名として広く認知されることになりました。
デビュー以来、彼は年齢を非公開としてきましたが、1976年5月7日生まれのまちゃまちゃさんと同級生であることから、綾小路翔さんも1976年生まれであることが判明したのです。
「馬場 直」という本名は、彼の持つ「房総の狂犬」というイメージとは少しギャップがあり、その意外性もまた彼の魅力の一つと言えるでしょう。
仲が良いからこその気遣い
彼の世界観を大切にする友人の存在も、本名がミステリアスなままであった一因かもしれません。
例えば、GLAYのTAKUROさんとは海外旅行に頻繁に行くほど親しい仲ですが、TAKUROさんは綾小路さんがパスポートやクレジットカードを提示する際、そこに記載された本名が決して目に入らないよう、常に気を遣って目を背けているそうです。
このような心温まるエピソードからも、彼の人柄がうかがえます。
CMで話題になったすっぴんの素顔
綾小路翔さんといえば、寸分の狂いもなくセットされたリーゼントと、表情をうかがわせないサングラス姿がトレードマークです。
しかし、その仮面の下に隠された素顔が、かつて大きな話題を呼んだことがあります。
そのきっかけとなったのが、2016年に放送されたKIRIN「氷結」のテレビCMでした。
このCMで彼は、リーゼントとサングラスという長年のスタイルを脱ぎ捨て、すっぴんの素顔を初めて公に披露したのです。
爽やかで端正な顔立ちが明らかになると、SNS上では瞬く間にトレンド入り。
「ジャニーズに入れるレベルのイケメン!」「モデルの土屋アンナさんに似ている」といった驚きと称賛の声が溢れ、ネットニュースにも取り上げられるほどの大反響を呼びました。
ちなみに、彼の象徴ともいえる見事なリーゼントは、カツラではなく全て地毛です。
毎回のGIGの前に、1時間以上もの時間をかけて丁寧にセットしているそうです。
「本物を追求する」という彼の不良魂とプライドが、あの美しい髪型に込められているのです。
元ヤンキーだった意外な学生時代
「房総の狂犬」というキャッチコピーやその風貌から、学生時代は相当なヤンキーだったと想像する方も多いでしょう。
そのイメージは、あながち間違いではありませんが、そこに至るまでには意外な経緯がありました。
いじめられっ子から生徒会長へ
驚くべきことに、綾小路さんは小学2年生頃まで、容姿をからかわれるなど、いじめられっ子だった過去を明かしています。
しかし、彼はその状況に甘んじることなく、自らクラス会長に立候補するなど、積極的に目立つ存在になることで周囲の評価を変えていきました。
このセルフプロデュース能力と逆境を乗り越える力は、彼の大きな強みです。
最終的には、小学校の生徒会長にまで上り詰めるという、まるで漫画のようなサクセスストーリーを実現させました。
“地元の流れ”で暴走族に
中学時代はバンド活動に目覚め、ごく普通の音楽少年でした。
しかし、千葉県立天羽高等学校へ進学後、周囲の仲間との付き合いや “地元の流れ” の中で、半ば不本意ながらもヤンキーの道へと進んでいきます。
彼自身も「本当はこんなはずじゃなかった」と当時を振り返りながら、暴走族「木更津サリィ」に所属していた時期があったと告白しています。
音楽への情熱と後輩への優しさ
ヤンキーではありましたが、彼の根底には常に音楽への熱い情熱がありました。
バンド活動や遊興費は、近所の「マザー牧場」などで真面目にアルバイトをして工面していたそうです。
また、後にフジファブリックのボーカルとなる志村正彦さんがバイトの後輩だった時期があり、志村さんが音楽を辞めて故郷に帰ろうか悩んでいた際、綾小路さんは「帰るなら『茜色の夕日』を俺にくれ」と本気で頼み込み、彼を思いとどまらせたという感動的なエピソードも残っています。
家族との心温まるエピソード
綾小路翔さんの人格形成、特にその反骨精神の根源には、ご家族、とりわけ厳格だった父親の存在が大きく影響しているようです。
彼の父親である豪毅(ごうき)さんは、岩手県立遠野高校時代に全国高校サッカー選手権で準優勝を経験し、卒業後は社会人サッカーの強豪・三菱重工サッカー部(現在の浦和レッズ)に所属した経歴を持つ元アスリートでした。
家庭では「昭和の頑固親父」を絵に描いたような人物で、礼儀作法から生活態度まで非常に厳しく、綾小路さんが音楽の道に進んだのは、偉大な父親への反発心が一つの大きな原動力だったと語っています。
一見すると複雑な親子関係に思えますが、そこには確かな愛情も存在しました。
家族でテレビ出演
子供の頃には、家族でテレビ番組『ビートたけしのスポーツ大将』の人気コーナー「家族リレー」に出演し、見事2位に入賞したという微笑ましい思い出もあります。
残念ながらお父様は2019年に67歳の若さで亡くなりましたが、その葬儀にはとんねるずや宇多田ヒカルさんといった日本のエンターテインメント界を代表する人々から供花が送られました。
このことからも、豪毅さんの人望の厚さと、綾小路さんが築いてきた人間関係の広さがうかがえます。
綾小路翔の本名と輝かしい活動歴

DJ OZMAとしての活動とヒット曲
矢島美容室の結成までの経緯
多彩なアーティストとのコラボ
声帯手術を乗り越えた現在の活動
氣志團の活動でブレイク
綾小路翔さんのキャリアを語る上で、ロックバンド「氣志團」の存在は絶対に欠かせません。
彼らの活動は、単なる音楽活動に留まらず、一つの文化を創り上げました。
地元の同級生とバンド活動
1997年、千葉県木更津市で地元の同級生だった早乙女光さんらと共に氣志團を結成。
当初はインストゥルメンタル・バンドで、綾小路さんはギタリストでした。
その後、メンバーチェンジを経てボーカルに転向し、ヤンキー文化とパンクロックを融合させた「ヤンクロック」という唯一無二のスタイルを確立します。
2001年からメジャーへ
2001年にシングル「デリケートにキスして」でメジャーデビュー。
翌2002年にリリースした「One Night Carnival」は、そのキャッチーなメロディと「俺んとこ こないか?」という印象的なフレーズで社会現象ともいえる大ヒットを記録しました。
この曲は、今なお結婚式の余興やカラオケの定番ソングとして愛され続けています。
その後も東京ドームでの単独GIG成功や、2度のNHK紅白歌合戦出場など、輝かしい功績を重ねています。
さらに、彼らが主催する大規模野外音楽フェスティバル「氣志團万博」は、ジャンルや世代を超えた豪華なアーティストが集結することで知られ、今や日本を代表する夏の風物詩となっています。
DJ OZMAとしての活動とヒット曲
2000年代中盤、綾小路翔さんはもう一つの顔、謎のハイテンションなアーティスト「DJ OZMA」としても日本の音楽シーンを席巻します。
当初は「綾小路翔の古くからの友人」という設定で登場しましたが、その正体は多くの人が察する通りでした。
そして2013年、トーク番組『おしゃれイズム』に出演した際に、自身と同一人物であることを正式に認め、長年の「お約束」に終止符を打ちました。
DJ OZMA名義で2006年にリリースしたシングル「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」(韓国のグループDJ DOCの「Run to you」のカバー)は、デジタル配信で100万ダウンロードを超える記録的な大ヒットを記録。
氣志團の持つ硬派なイメージとは対照的な、底抜けに明るいパーティーチューンで、全国のクラブやイベントを熱狂の渦に巻き込みました。
紅白での過激なパフォーマンスとその後
彼の活動で最も有名なエピソードの一つが、2006年の「第57回NHK紅白歌合戦」でのパフォーマンスです。
女性バックダンサーが裸に見えるボディスーツを着用して登場した演出が、放送直後から大きな物議を醸し、社会的な騒動にまで発展しました。
この一件が原因で、綾小路さんは長らくNHKの番組から遠ざかることになります。
しかし、2024年3月26日、NHK盛岡放送局のニュース番組『おばんですいわて』に出演。実に約18年ぶりとなるNHKへの復帰は、長年のファンにとって非常に感慨深い出来事となりました。
矢島美容室の結成までの経緯
綾小路翔さんの多才ぶりは、奇想天外な音楽ユニット「矢島美容室」のプロデュースでも遺憾なく発揮されました。
このユニットは、お笑いコンビ「とんねるず」とDJ OZMAが全面的にプロデュースするという形で、テレビ番組の企画をきっかけに2008年に始動しました。
アメリカ・ネバダ州ラスベガスから日本にやってきた、母のマーガレット、長女のナオミ、次女のストロベリーという母娘3人組、という非常にユニークで作り込まれた設定が特徴でした。
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デビューシングルがオリコン入り!
デビューシングル「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」は、一度聴いたら耳から離れないキャッチーな楽曲と、3人の個性的なキャラクター設定で子供から大人まで幅広い層の人気を獲得。
オリコン週間ランキングで最高3位を記録する大ヒットとなりました。
この成功は、綾小路翔さんの卓越したプロデュース能力と、エンターテインメントに対する深い理解力を世に知らしめる結果となったのです。
プロジェクトは一過性のものに終わらず、アルバムリリースや映画化も実現しました。
多彩なアーティストとのコラボ
綾小路翔さんは、自身のバンド活動やプロデュース業にとどまらず、多くのアーティストと積極的にコラボレーションを行い、その音楽性の幅広さを示しています。
これまでに組まれた主なユニットには、以下のようなものがあります。
| ユニット名 | コラボ相手 | 代表曲 |
|---|---|---|
| 綾小路翔<愛愛傘>後藤真希 | 後藤真希 | Non stop love 夜露死苦!! |
| 綾小路翔 vs マーティ・フリードマン | マーティ・フリードマン | SAMURAI STRONG STYLE |
| 綾小路翔と森山直太朗 | 森山直太朗 | ライバルズ |
これらの活動は、彼の幅広い音楽性と、ジャンルや国境を超えたアーティストたちとの広い交友関係を物語っています。
さらに、作詞家としての才能も高く評価されており、2007年にはTHE ALFEEの高見沢俊彦さんのソロシングル「千年ロマンス」の作詞を担当。
その際には「“平成の柿本人麻呂”こと木更津の暴走吟遊詩人」と称されるなど、その文才は多くのミュージシャンから一目置かれています。
声帯手術を乗り越えた現在の活動
長年にわたり日本の音楽シーンの第一線で、そのパワフルな歌声を響かせてきた綾小路翔さんですが、2023年にアーティスト生命を揺るがす大きな試練を迎えます。
以前から患っていた慢性的な声帯炎の治療とリハビリに専念するため、結成25周年を記念した2023年1月3日の日本武道館公演を最後に、氣志團のコンサート活動を無期限で休止することを発表しました。
ファンに衝撃が走る中、彼は2月と8月の複数回にわたって喉の手術を受けました。
活動休止中もSNSを通じて誠実に状況を報告し、ファンへの感謝と復帰への強い意志を発信し続けました。
そして、懸命なリハビリの末、同年秋には無事にステージへ復帰。手術を乗り越え、さらに深みを増した歌声でファンの前に帰ってきてくれました。
地元活動にも積極的
近年の彼は音楽活動だけでなく、地元への貢献にも力を入れています。
2021年には、出身地である君津市の市制50周年を記念して発足したPR団体「きみつ大好きだぜ!応援團」の團長に就任しました。
この就任は、綾小路さんが中学生だった頃の音楽教師が、現在の君津市長である石井宏子氏だったという素敵な縁から実現したものです。(参照:君津市公式サイト)
まとめ:綾小路翔の本名は「馬場直(ばば なお)」と、実績の振り返り

この記事では、綾小路翔さんの本名からその輝かしい経歴、そして意外な素顔までを詳しく解説しました。
彼の魅力は、単なるミュージシャンに留まらない多面性と、何事にも全力で取り組む熱い魂にあることがお分かりいただけたかと思います。
この記事のまとめになります。
・お笑いタレントのまちゃまちゃは中学校の同級生
・1976年4月26日生まれで千葉県君津市の出身
「房総の狂犬」「永遠の16歳」のキャッチコピーで知られる綾小路翔さん。
1997年に結成されたロックバンド「氣志團」のフロントマンとして、唯一無二の存在感を放ち続けています。
綾小路翔さんの経歴は非常にユニークで、小学校時代はいじめられっ子から生徒会長へ、高校時代には暴走族に所属。
厳格な元サッカー選手の父親への反発心が、彼の反骨精神の原点となっています。
音楽活動では、氣志團の代表曲「One Night Carnival」で社会現象を巻き起こし、主催フェス「氣志團万博」を日本有数の音楽イベントに育て上げました。
その才能は多岐にわたり、DJ OZMAとして「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」を大ヒットさせ、とんねるずと「矢島美容室」をプロデュース。森山直太朗さんなど多くのアーティストともコラボしています。
2023年には声帯手術の試練を乗り越えて力強く復帰し、現在は地元・君津市の応援團長も務めています。
綾小路翔さんの魅力は音楽だけでなく、そのドラマティックな生き様から生まれていると言えるでしょう。