1970年代に「気になる17才」で鮮烈なデビューを飾り、一世を風靡したアイドル、あいざき進也さん。
ネット上では時折「あいざき進也が干された理由」といったキーワードが検索されていますが、実際のところはどうなのでしょうか。
この記事では、そもそもあいざき進也は干されたのかという根本的な疑問から、彼の輝かしいプロフィールやアイドル時代のこれまでの活動を詳細に振り返ります。
さらに、彼のキャリアの大きな転機となった寺内タケシとの関係にも深く迫ります。
また、運動神経が良いという意外な一面や、プライベートでの愛猫家としての一面にも触れながら、噂の真相を多角的に解き明かしていきます。
【この記事の内容】
・トップアイドルからバンドボーイへの転身の経緯
・「同窓会コンサート」など現在の精力的な活動内容
・元祖アクロバットアイドルとしての身体能力や愛猫家としての一面
あいざき進也が干された理由が気になる

あいざき進也のプロフィール
アイドル時代からの活動暦
突然の活動休止と寺内タケシとの関係
バンドボーイ時代
師から受け継いだ大切な言葉
そもそもあいざき進也は干されたのか?
結論から言うと、あいざき進也さんがメディアから「干された」という事実は一切ありません。
人気絶頂のアイドルがテレビなどへの露出を減らすと、様々なネガティブな憶測が飛び交うことがありますが、彼のケースは全く異なります。
実際には、10代のアイドルから大人の歌手へとステップアップするための「試練」として、所属事務所の方針と彼自身の将来を見据えた意思のもとで、計画的に活動の方向性を転換したのが真相なのです。
デビューから休みなしで活動
1974年のデビューから約6年間、彼はトップアイドルとして寝る間もないほど多忙な日々を送りました。
しかし、23歳を迎える頃、ファン層が中高生から大人へと成長し、洋楽やニューミュージックへと興味が移り変わる時代の流れがありました。
この時期、所属していた大手事務所・渡辺プロダクションの部長から「大人の歌を歌うためには、もっと世の中を知らなければいけない。外の釜の飯を食って勉強してこい」と告げられ、新たな修行の道へ進むことになります。
これは芸能界から姿を消すといった後ろ向きなものではなく、一人の表現者として長く生き抜くための、前向きなキャリアチェンジだったと言えるでしょう。
あいざき進也の華々しいプロフィール
あいざき進也さんの輝かしい経歴を、まずは基本的なプロフィールから詳しく見ていきましょう。
彼の歩みは、日本の70年代アイドル史そのものと言っても過言ではありません。
| 本名 | 相崎 進也(あいざき しんや) | 
|---|---|
| 生年月日 | 1956年10月26日 | 
| 出身地 | 岐阜県岐阜市(愛知県尾西市育ち) | 
| 学歴 | 堀越高等学校 卒業 | 
| 身長 | 162cm | 
| デビューのきっかけ | 『スター・オン・ステージ あなたならOK!』グランドチャンピオン | 
| デビュー年 | 1974年 | 
| デビュー曲 | 気になる17才 | 
| ニックネーム | プッチ | 
| 所属事務所 | オフィスイマージュ(個人事務所)(公式サイト) | 
1973年、テレビ朝日の前身であるNETテレビのオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』で初代グランドチャンピオンに輝いたことが、彼の運命を大きく動かします。
その才能が認められ、ワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)からのデビューが決定。
翌1974年、「気になる17才」で鮮烈なデビューを飾ります。
小柄で愛くるしいルックスと、中性的で甘い歌声は瞬く間にお茶の間の心を掴み、当時のアイドルブームを牽引するトップスターの一人となりました。
アイドル時代のこれまでの活動
デビュー当時、あいざき進也さんは、同じく人気を博していた城みちるさん、松田新太郎さんと共に「新新御三家」と呼ばれ、絶大な人気を誇りました。
デビュー曲「気になる17才」の大ヒットに続き、「愛の誕生日」「恋のリクエスト」といったシングルを次々とリリース。
雑誌「平凡」や「明星」の表紙を飾り、NHKの『レッツゴーヤング』やフジテレビの『夜のヒットスタジオ』など、数々の人気音楽番組に常連として出演しました。
運動神経もかなり良い
彼の特筆すべき点は、ただ歌って踊るだけでなく、その類まれな運動神経を活かしたアクロバティックなパフォーマンスにあります。
マネージャーに「小柄で運動神経がいいんだからアクロバットをやれ」と勧められたことをきっかけに練習を重ね、ステージで軽々とバック転を披露。
「元祖アクロバットアイドル」としての地位を確立します。
最終的には空中ブランコまでこなすなど、その高い身体能力は他のアイドルと一線を画す、彼の大きな魅力でした。
アイドル時代の主なヒット曲と受賞歴
主なヒット曲
気になる17才
シンデレラは6月生まれ
愛の誕生日
恋のリクエスト
君のハートに火をつけて
青春物語など多数。
主な受賞歴
突然の活動休止と寺内タケシとの関係
アイドルとして順風満帆な活動を6年間続けていたあいざきさんですが、23歳の時にキャリアにおける最大の転機が訪れます。
それが、”エレキの神様”と称される日本を代表するギタリスト・寺内タケシさんへの弟子入りでした。
これはメディアで「活動休止」と報じられましたが、前述の通り、事務所が彼の将来を案じて設定した、大人の歌手へ成長するための修行期間でした。
音楽活動のためにさらに下積み
事務所から「昔ながらの厳しい修行ができるから」と修行を命じられ、あいざきさんが向かった先が、寺内タケシとブルージーンズだったのです。
挨拶に訪れた彼に、寺内さんは厳しい表情でこう告げました。
この一言から、トップアイドルから裏方である「バンドボーイ(通称:ボーヤ)」としての日々が始まります。
ファンにはコンサートで「自分の思いで一から勉強してきます」と真摯に報告し、彼は一度、華やかなステージから身を引くという大きな決断を下したのです。
過酷だったバンドボーイ時代
寺内タケシさんのもとでの修行は、あいざきさんの想像を遥かに超える厳しいものでした。
バンドボーイの仕事は、お茶くみや師匠の肩もみといった身の回りの世話から、重い楽器や機材の運搬・セッティング、衣装の管理まで、コンサートに関わる全ての裏方業務です。
特に当時の寺内さんの機材は総重量が10トンにも及んだとされ、それを10人ほどのスタッフで毎日運ぶのは、まさに過酷な重労働でした。
上下関係がかなりのものだった
さらに、そこには軍隊の階級制度さながらの厳しい上下関係が存在していました。
元帥である寺内さんを頂点とする絶対的なピラミッド構造の中で、新入りのあいざきさんは「初年兵」。
一番下の立場であり、たとえ相手が19歳の先輩であっても「軍曹」として敬い、その指示に従わなければなりませんでした。
「地獄の日々」と精神的な葛藤
当時の生活は、本人が後に「地獄の日々といったら大げさですけど」と語るほど過酷なものでした。
休みもなく、寮と仕事場を往復する毎日。
しかし、「この仕事を続けなければ、僕の音楽の道は完全に途絶えてしまう」という強い危機感が、彼を支え続けました。
何よりも辛かったのは、精神的な葛藤でした。
ライブ中、ほんの数メートル先でスポットライトを浴びて演奏する寺内さんの姿を、スピーカーの影からじっと見つめる日々。
かつて自分が立っていたその場所が、とてつもなく遠いものに感じられ、「もう一度、あのスポットライトが当たる場所で歌いたい!」という渇望だけが、彼の心の支えだったのです。
師から受け継いだ大切な言葉
約1年半に及ぶ、長く厳しい修行を耐え抜き、バンドボーイを卒業する日、鬼のように厳しかった師匠・寺内タケシさんは、あいざきさんに労いの言葉をかけました。
金言1:継続は力なり
この「継続は力なり」という言葉は、その後の彼の歌手人生を支える、何物にも代えがたい大きな柱となります。
金言2:歌は語れ、語りは歌え
また、寺内さんからはもう一つ、表現者としての極意も授かりました。
これは、歌はただメロディーをなぞるのではなく、歌詞の意味を理解し聴き手に語りかけるように心を込めて歌い、一方でMCなどのおしゃべりは、歌うようにリズミカルに、そして聴き手の心に響くように話しなさい、という意味です。
この二つの金言は彼の心に深く刻まれ、歌手・あいざき進也のパフォーマンスの礎を築きました。
結果的に、この厳しい修行は彼から人気を奪ったのではなく、数十年にわたり歌い続けることができる、本物の歌い手としての魂を授けたのです。
あいざき進也が干された理由の噂を覆す、現在の活動

プライベートでは愛猫家
コンサートで全国ツアー
TASTE4としての活動
抜群の運動神経が良いという一面
前述の通り、あいざき進也さんは単なるアイドルではなく、「元祖アクロバットアイドル」として後世に名を残す存在です。
特に国民的人気番組だったTBSの『8時だョ!全員集合』のステージでは、その高い身体能力を遺憾なく発揮し、お茶の間の視聴者をあっと驚かせました。
軽やかなバック転はもちろんのこと、芸能人運動会では自身の身長とほぼ同じ高さである走り高跳び160cmを見事にクリアするなど、その運動神経はトップアスリート並みでした。
年間250回以上のコンサート活動
この卓越した身体能力は、単なるパフォーマンスの派手さに留まらず、年間250本以上ものコンサートをこなす多忙なアイドル活動を乗り切るための、強靭な体力的な基盤にもなっていたことでしょう。
60代後半となった現在もステージで若々しく、エネルギッシュな姿を見せられるのは、この頃に培われたフィジカルの強さが大きく関係しているのかもしれません。
実は愛猫家というプライベートな素顔
ステージ上での華やかな姿とは別に、あいざき進也さんには心優しいプライベートでの一面があります。それは、大の愛猫家であるということです。
幼少期から現在まで、実に50年以上にわたって常に猫と共に生活しており、多い時には自宅で猫4匹、犬1匹を同時に飼っていたこともあるほど。
彼の公式ブログやSNSでは、愛猫たちとの穏やかな日常が綴られることもあり、ファンにとっては彼の温かい人柄に触れられる貴重な機会となっています。
趣味はプロ級の磯釣り!
愛猫家としての一面のほか、あいざきさんは釣り歴50年以上のキャリアを持つベテラン釣り師でもあります。
特に磯釣りを好み、その腕前はプロ級。フィッシングチーム「サバル」に所属するなど、本格的に趣味を追求しています。
自然を愛し、動物を慈しむ心豊かな人柄がうかがえます。
コンサートで全国を巡る現在
寺内さんのもとでの修行を終えた後、一時はライブハウスでの地道な活動や、飲食店経営で生計を立てていた苦しい時期もありました。
しかし、師から授かった「継続は力なり」という言葉を胸に、コツコツと真摯に音楽活動を続けてきました。
そして近年、昭和のカルチャーが見直されるブームの再燃もあり、彼の活動は再び大きな注目を集めることになります。
現在は、江木俊夫さん(フォーリーブス)や晃さん(フィンガー5)など、一時代を築いた同年代の歌手仲間と共に、夢グループ主催の「同窓会コンサート」や「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」に出演し、全国各地を精力的に巡っています。
還暦を過ぎてもなお、衰えぬ歌声とパフォーマンスでファンに夢と感動を届け続けるその姿は、多くの同世代に勇気と希望を与えています。
TASTE4としてのユニット活動
精力的なソロ活動と並行して、あいざき進也さんはユニット活動にも力を入れています。
かつては江木俊夫さん(フォーリーブス)、晃さん(フィンガー5)、加藤高道さん(狩人)と共にユニット「s4(エスフォー)」を結成し、話題を呼びました。
そして現在は、同じ不動のメンバーでユニット名を「TASTE4」と改めて活動を継続。
個々のコンサートとはまた違った、息の合ったハーモニーと楽しいトークで、ライブを中心にファンとの絆を深めています。
今もなお、団塊世代からの人気者
それぞれが一世を風靡した往年のトップアイドルたちが集結したユニットは、当時のファンにとってはもちろん、昭和歌謡に興味を持つ新たな世代のファンにとっても非常に魅力的な存在です。
個々の活動で輝き続けるだけでなく、信頼できる仲間と共に音楽を楽しむ姿は、彼の充実した「現在」を何よりも雄弁に物語っていると言えるでしょう。
まとめ:あいざき進也が干されたと言われる理由は、修行期間があったため

この記事では、あいざき進也さんが干されたという噂の真相から、彼の波乱万丈ながらも輝かしいキャリア、そして現在に至るまでの道のりを詳しく見てきました。
この記事のまとめになります。
・現在は「同窓会コンサート」や「夢スター歌謡祭」に出演し、全国のファンの前で歌い続けている
・江木俊夫ら往年のアイドル仲間と共にユニット「TASTE4」としても精力的に活動している
・2024年にはデビュー50周年を迎えるなど、今なお第一線で活躍する現役の歌手である
1974年に「気になる17才」でデビューし、「新新御三家」の一人として一世を風靡したあいざき進也さん。
しかし23歳の時、大人の歌手へ成長するため、事務所の方針で〝エレキの神様〟寺内タケシ氏に師事。
約1年半、バンドボーイとして機材運びなど裏方の過酷な修行を経験します。
プライベートでは50年来の愛猫家で、趣味はプロ級の腕前を持つ磯釣り。
結論として、彼は「干された」のではなく、一度裏方を経験するという試練を乗り越え、より深みのある本物の歌手へと進化しました。
その生き方は、「継続は力なり」をまさに体現し、多くの人々に勇気を与えています。
 
   
  